また婦人市民にはごみの減量や分別収集への協力を、それぞれ求める運動に挑んでいった。 その一環として彼女たちは、数校の小学校で夜に集会を催したが、会場ではまず市の保健局 長や清掃課長に講演をしてもらい、そのあと自作自演の「お春さんの夢」という芝居を上演 したという。「私も俳優の一人にさせられてしまった。私の役はゴミ箱の中の「石」であっ たが、セリフを忘れてほんとに石になったことがあった」と、市川房枝さんは述懐している。 なお、市川さんによると、日本のファッショ化が進むにつれ、婦人選挙権の実現は困難に なっていたが、彼女たちはこれにひるまず政治と生活、政治と台所を結びつけること、換言 すれば「反動時代における戦術転換の一つとして、現実の自治政に働きかける」運動を強め ていた。ガス料金の値下げ要求などとともに、ごみ問題も、煙害事件がきっかけとなって、 政治と台所を結びつけるべき緊急の課題となったのであった(以上、引用はいずれも市川房枝 『私の婦人運動』一九七二、秋元書一房)。 ところで、東京のごみ問題は、その後太平洋戦争の勃発前後に再び大きくク 誹り託〃伽識ローズァップされることになった。市の広報紙では、塵芥減量を市民に求め る記事が毎号のように掲載されているが、その中で実は〃ゴミ戦争″という